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仙台地方裁判所 昭和26年(行)11号 判決

原告 渡辺豊之進

被告 南方村農地委員会

主文

原告の請求は之を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告が昭和二十五年十一月二十日別紙目録記載の農地について樹立した売渡計画を取消す、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求原因として、別紙目録第一記載の農地(以下第一の農地と略す)は元訴外佐藤幸暉、同目録第二記載の農地(以下第二の農地と略す)は元訴外佐藤幸三郎、同目録第三記載の農地(以下第三の農地と略す)は元訴外佐藤ちかよの所有であつたが、第一の農地及び第三の農地のうち大平前八十六番、八十七番、九十番は何れも不在地主の小作地として政府に買収され(買収の時期は昭和二十二年十月二日)、第二の農地及び第三の農地のうち大平前八十五番、八十八番、八十九番は何れも右訴外人等が昭和二十二年頃財産税法により政府に物納したものである。被告は昭和二十五年十一月二十日別紙目録記載の農地につき、売渡の相手方を第一の農地については訴外岩淵友治、第二の農地については訴外佐藤見幸、第三の農地については訴外小野寺兵三郎と定めて売渡計画を樹立し、同日之を公告したので、原告は同年同月二十九日異議の申立をしたところ、同年十二月十九日却下され、更に宮城県農地委員会に訴願したところ、昭和二十六年三月一日棄却され、同月二十五日その裁決書が原告に送達された。

しかしながら、右売渡計画には次の如き違法がある。即ち、

(一)  被告は右の売渡計画を樹立する以前即ち昭和二十四年二月十九日別紙目録記載の本件農地について原告を売渡の相手方とする売渡計画を定めて公告し、宮城県農地委員会は同年三月二日右計画を承認した。よつて、宮城県知事はその売渡計画に基いて同年四月中本件農地のうち買収された農地については昭和二十二年十月二日を、物納された農地については昭和二十三年三月二日を夫々売渡の時期とする売渡通知書を原告に交付して売渡処分をなしていたのであるから、本件農地の所有権はその売渡の時期において原告に移転していたものである。よつてその後に定められた訴外岩淵、佐藤、小野寺を売渡の相手方とする本件売渡計画は政府の所有に属しない農地について樹立したもので違法である。尤も、県農地委員会は昭和二十四年八月原告を売渡の相手とする前記売渡計画の承認は該計画に対する訴願の裁決前に誤つてなされたものであることを理由としてその承認を取消したが、右計画に対しては異議訴願がなかつたのであるから、承認の取消はその理由がなく当然無効である。

(二)  仮りに右主張が理由ないとしても、原告は昭和二十三年十一月二十一日以前に長男渡辺正英の名を以て本件農地の買受申込をしていたものであり、本件農地は左の理由により原告に売渡すべきであるから、前記訴外人等に売渡すべきものとして定めた本件売渡計画は違法である。即ち、原告は昭和五年頃より本件農地をその所有者であつた佐藤幸暉、及び佐藤幸三郎から賃借していたのであるが、原告の八男綱治は昭和十九年二月六日召集され、孫の侃男は昭和十九年四月頃に於て近く召集されることが確実となり(昭和十九年九月二日召集された)、右綱治等の召集された後の原告方の労働人員が原告(当時六十七才)及び長男正英の妻たつよ(当時四十七才)の二人のみとなり当時原告方の耕作反別は本件農地の外に田二町一反二畝、畑三反八畝であつたので原告は昭和十九年春頃止むを得ず、本件農地の荒廃を防ぐ為、右綱治等が帰還したときは何時にても返還して貰うという約束の下に第一の農地を岩淵友治に、第二の農地を佐藤見幸に、第三の農地を小野寺兵三郎に夫々一時転貸した。ところが、右綱治、侃男及び長男正英等は何れも昭和二十年九月に復員して帰宅し、原告方の労働人員がにわかに増加したので、原告は同年十月中右岩淵等三名に対し本件農地の返還を求めたが、同人等は之に応じないので、原告は更に昭和二十一年旧正月頃岩淵及び佐藤に対し、又、同年十月頃小野寺に対し夫夫右転貸した農地の返還を申入れた。よつて右解約の申入によつて右賃貸借契約は遅くもその頃終了したのであるから、右岩淵等は本件農地のうち買収された農地については買収の時期において、又物納された農地については売渡計画樹立の時期において、本件農地について耕作の業務を営む小作農ではなく、何らの権限なくして本件農地を耕作していた不法占有者にすぎない。

よつて、本件農地は原告に売渡すべきものであり、右岩淵等に対する本件売渡計画は違法である。仮りに右賃貸借契約が終了しなかつたとしても、原告は右の如き事情により止むなく一時転貸したものであり、その後原告方の労働人員も増加したのであるから、本件農地は旧自作農創設特別措置法第十六条、同施行令第十七条第一項第五号により一時転貸をなした原告に売渡すべきである。

よつて前記売渡計画の取消を求める為本訴請求に及んだ次第であると述べ、被告の主張に対し、宮城県農地委員会が、被告の立てた昭和二十四年二月十九日附原告に対する本件農地の売渡計画に対し同年三月二日なした承認を昭和二十四年八月三日取消したこと、宮城県知事がその主張の頃昭和二十四年四月中になした原告に対する売渡処分を取消し、被告を通じて原告にその旨通告し、売渡通知書を回収しようとしたが、原告が之に応じなかつたことは認めるけれども、被告が昭和二十三年十二月二十一日本件農地について原告を売渡の相手方とする売渡計画を定めたことは否認する。被告は同日は単に本件農地の売渡の相手方を原告と定める旨決定したにすぎない。然るに岩淵等三名は原告を売渡相手方とする売渡計画が樹立されたものと誤解し村農地委員会に異議申立をなし、却下せられるや、県農地委員会に訴願をなしたものである。従つて岩淵等三名よりなした右異議、訴願は未だ原告に対する本件農地の売渡計画樹立前に為されたものであるから右異議、訴願は無効である。その後昭和二十四年二月十九日原告に対する売渡計画の公告がなされ、昭和二十四年三月二日県農地委員会の承認を経て、同年四月知事が原告に対し本件農地の売渡処分をなしたことは前叙の通りであり、売渡処分完了後は他に特段の事由がない限り之を取消すことができないものであるから、原告に対する売渡処分の取消は無効であると述べた。

(立証省略)

被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、原告主張の請求原因事実中冐頭より「裁決書が送達された」迄の事実関係は認める。(一)の事実について、被告が昭和二十四年二月十九日本件農地について売渡の相手方を原告と定めて売渡計画を樹立したこと、宮城県農地委員会が同年三月二日右計画を承認したこと、宮城県知事が昭和二十四年四月中原告主張のような売渡通知書を原告に交付して売渡処分をなしたことは認めるけれども、右売渡処分は昭和二十五年六月二十日頃取消された。即ち被告が昭和二十三年十二月二十一日本件農地について売渡の相手方を原告とする売渡計画を定めて公告したところ、本件農地の耕作者である岩淵友治、佐藤見幸、小野寺兵三郎の三名から異議申立並びに訴願がなされた結果、宮城県農地委員会は昭和二十四年三月三十日右岩淵等の訴願を容れ、被告が昭和二十三年十二月二十一日定めた売渡計画を取消し、売渡の相手方を右岩淵、佐藤及び小野寺と変更すべき旨の裁決をなした。ところで、宮城県農地委員会は昭和二十四年三月二日右の如く訴願係属中なることを失念して、被告が同年二月十九日定めた本件農地に対する原告を売渡相手方とする売渡計画を承認したので知事は同年四月原告に対し売渡処分を通告した。その後県農地委員会は之が誤りであつたことを発見したので、同委員会は昭和二十四年八月三日右の承認を取消し、宮城県知事も昭和二十五年六月二十日頃右売渡処分を取消し、同年六月二十二日頃被告を通じて原告にその旨を告げ、売渡通知書を回収しようとしたけれども原告は之に応じなかつた。右の如く宮城県知事が昭和二十四年四月中に原告に対してなした売渡処分は取消されたのであるから、被告が昭和二十五年十一月二十日に定めた本件売渡計画は政府の所有に属しない農地について樹立したものであるとの原告の主張は失当である。(二)の事実について、原告が長男正英の名を以て本件農地の買受申込をしたこと、原告がその主張の頃から本件農地を賃借して来たこと、原告が第一の農地を岩淵友治に、第二の農地を佐藤見幸に、第三の農地を小野寺兵三郎に夫々転貸していたこと、原告の八男綱治がその主張の頃海軍兵を志願して入団し、孫の侃男がその主張の頃召集されたこと、右綱治等が入団入営した後の原告方の稼動人員が原告主張の通りであつたこと、右綱治等が原告主張の頃帰還したことは認めるけれども、その余の事実は否認する。岩淵友治は昭和十九年十二月頃、佐藤見幸は同年一月頃、小野寺兵三郎は昭和十八年十二月頃何れも、何らの条件もなく期限の定めなく右の農地を原告から転借したのであるから、右転貸借は一時賃貸借ではなく、本件農地はその買収又は売渡計画樹立の時期において右岩淵等三名が耕作していたのであるから、同人等を売渡の相手方として定めた本件売渡計画に何等の違法はないと述べた。

(立証省略)

理由

別紙目録第一記載の農地(以下第一の農地と略す)が元訴外佐藤幸暉、同目録第二記載の農地(以下第二の農地と略す)が元訴外佐藤幸三郎、同目録第三記載の農地(以下第三の農地と略す)が元訴外佐藤ちかよの所有であつたこと、第一の農地及び第三の農地のうち大平前八十六番、八十七番、九十番は何れも不在地主の小作地として買収され(買収の時期は昭和二十二年十月二日)、第二の農地及び第三の農地のうち大平前八十五番、八十八番、八十九番は何れも昭和二十二年頃財産税法により政府に物納された農地であること、被告が昭和二十五年十一月二十日本件農地につき売渡の相手方を原告主張の如く岩淵等三名と定めて売渡計画を樹立したこと、原告が之に対し異議訴願したところ、昭和二十六年三月一日訴願棄却の裁決がなされ、その裁決書が同年同月二十五日原告に送達されたこと、これより先、昭和二十四年二月十九日被告が本件農地につき原告を売渡の相手方とする売渡計画を定めて公告したこと、宮城県農地委員会が同年三月二日之を承認したこと、宮城県知事が右売渡計画に基いて昭和二十四年四月中原告主張のような売渡通知書を原告に交付し、売渡処分をなしたこと、宮城県農地委員会が昭和二十四年八月三日右原告に対する売渡計画の承認を取消したこと、及び宮城県知事が昭和二十五年六月二十日頃原告に対する売渡処分を取消し、同月二十二日頃被告を通じて原告にその旨を告げ前記の売渡通知書を回収しようとしたけれども、原告が之に応じなかつたことは当事者間に争がない。

よつて先ず、宮城県農地委員会の前記売渡計画承認の取消並び宮城県知事の右売渡処分の取消が有効か否かについて判断をすると、原告が昭和五年頃から本件農地を賃借していたこと、原告が第一の農地を岩淵友治に、第二の農地を佐藤見幸に、第三の農地を小野寺兵三郎に夫々転貸していたこと、本件農地のうち買収された農地については買収の時期において、物納された農地については本件売渡計画樹立の時期において右訴外人等が右農地を耕作していたこと、原告の八男綱治及び孫の侃男が夫々その主張の頃召集したこと、右綱治等が応召した後の原告方の稼働人員が原告主張の通りであつたことは当事者間に争がない。

原告は右転貸借は何れも一時賃貸借であると主張するけれども、証人星貞悟、田口弘之(第一、二回)、榊原伝男、鈴木寛、佐藤見幸、岩淵友治、小野寺健治郎、柴森英行の各証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すれば本件農地は原告の子渡辺正幸の所謂ホマチ田(同人が収穫の全部を貰う農地)として昭和十六年迄同人が耕作していたこと、同人が昭和十六年頃警察官になつた後は原告が耕作を続けて来たが、本件農地が原告方から遠隔の地にあるため、昭和十七年から訴外榊原伝男の耕作地と本件農地を交換し、昭和十八年秋頃右榊原の都合により交換を止める迄その交換した農地を耕作していたこと、右交換を止めた後、原告は八男の綱治が海軍志願兵として入団することになり、孫の侃男も応召するような状況になつたので、昭和十八年秋頃第二の農地を佐藤見幸に第三の農地を小野寺兵三郎に、昭和十九年春頃第一の農地を岩淵友治に何れも本件農地は正幸の所謂ホマチ田であるが、同人は警察官になつているので同人が帰つて来たら返して貰うがそれ迄賃貸するとの話合の下に夫々転貸したものであることを認めることができ、右認定の事実によれば、原告が本件農地を転貸するに至つた動機原因はともあれ、右転貸借が一時的な短期間内に限り賃貸する趣旨でなされたものとは認められないから、之を一時賃貸借と認めることはできない。証人榊原伝男、渡辺正英(第一、二回)、菊田征市、田口勲の各証言並びに原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用するに足らず他には右認定を動かすに足る証拠はない。

しからば原告がその主張の頃二回に亘り右転貸借契約の解約の申入をなしたとしても、右訴外人等に小作料を延滞する等信義に反する行為のあつたことは原告の主張立証しないところであり、原告方の稼働人員が増加したことのみを以て直ちに旧農地調整法(昭和十三年法律第六七号)第九条第一項但書に所謂「賃貸人の自作を相当とする場合その他正当の事由ある場合」に当るとは認められないから、右解約申入は無効と言うべく、しかも原告が旧自作農創設特別措置法施行令第十七条第五号に所謂「一時転貸した者」でないことは前段認定の事実によつて明かであり、成立に争ない甲第一号証の一、二、三、証人引地久治、佐藤見幸、岩淵友治、小野寺健治郎の証言によれば、昭和二十三年十二月十九日以前に佐藤見幸、小野寺兵三郎、岩淵友治よりそれぞれの耕作している本件農地の買受申出を被告に対してなしてあることを認めるに充分であるから、本件農地に対する第一順位の売渡の相手方は買収若くは売渡計画樹立時に於ける耕作者である岩淵友治(第一の農地につき)、佐藤見幸(第二の農地につき)、小野寺兵三郎(第三の農地につき)の三名であつて原告ではないと言わなければならない。然らば、原告を売渡相手とした昭和二十四年二月十九日附本件農地の売渡計画、右計画に対する同年三月二日附の県農地委員会の承認、並びに宮城県知事が同年四月なした原告に対する本件農地の売渡処分はいづれも違法であり取消さるべきものである。

而して、旧自作農創設特別措置法第十六条による売渡の相手方の順位を誤つてなされた違法な売渡処分は、その売渡処分によつて一旦形成された法律秩序を著しく侵害しない限り、行政庁は異議訴願を待たず自ら進んで之を取消しうるものと解すべきところ、成立に争がない甲第一号証の一乃至四、第二号証の一、第九号証の二乃至四、乙第三号証の一、二、三、第四号証第五号、証人渡辺正英(第一、二回)の証言並びに原告本人尋問の結果によれば、原告の長男の渡辺正英は昭和二十四年当時被告委員の一人であつて、岩淵等三名より昭和二十三年十二月被告に対し本件農地の売渡相手を原告とする被告委員会の決定に対し異議の申立をなし、異議却下の決定に対し更に昭和二十四年一月県農地委員会に訴願をした結果、同年三月三十日売渡の相手方を岩淵等三名に変更すべき旨裁決がなされたことを知つていたこと及び原告と長男正英とは当時同居していることを認めるに充分であるから、原告は長男より右事情を聞き知つていたものと認めなければならない。然らば、原告及び長男正英は本件農地の売渡処分を受けた昭和二十四年四月当時から右売渡処分が取消されることを知り又は知り得べき事情にあつたものと謂わなければならない。又証人岩淵友治、佐藤見幸、小野寺健治郎、渡辺正英(第一、二回)の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、前記認定の通り原告は第一の農地を岩淵友治に、第二の農地を佐藤見幸に、第三の農地を小野寺兵三郎に夫々転貸し、同人等において右農地を耕作して来たのであるが、右訴外人等は前記の売渡処分がなされた後も本件農地は同人等に売渡さるべきであると主張して依然耕作を継続していたことを認めることができ、右の如き事情がある場合は、前記の売渡処分を取消しても、売渡処分によつて一旦形成された法律秩序を著しく侵害するものとは認められないから、売渡の相手方を誤つたことを理由として県農地委員会が昭和二十四年八月二日附を以てなした原告を売渡相手とする売渡計画の承認の取消処分並び昭和二十五年六月二十二日同一理由を以てなされた宮城県知事の原告に対する売渡処分の取消は適法である。従つて昭和二十四年四月中になされた原告に対する売渡処分は右の取消処分によつて取消されたものと言うべきである。

よつて、被告が昭和二十五年十一月二十日本件農地をそれぞれ岩淵等三名に対し売渡すべきものとして樹立した本件売渡計画は適法であつて之を取消すべき理由がない。

以上の通りであつて、原告の本訴請求は理由がないから、之を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十五条を適用し、主文の通り判決する次第である。

(裁判官 新妻太郎 飯沢源助 伊藤和男)

(目録省略)

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